ドラゴンの足跡
Lourella Rouster: 進化論に反対する大革命(www.rae.org)の認可を得た復刻判。オリジナル判は1978年、出版の創造論の社会科学と人文科学クウォータリー(現在は出版中止)1997年改訂。
私達の祖先の殆んどが、また特に未知の地域にドラゴンが住んでいたと信じていました。どこからそのようなアイディアが来たのでしょうか?全世界に及ぶ人類のイマジネーションから始まったのでしょうか?遺伝的に受け継いだものかそれとも直感でしょうか?恐竜に対しての潜在意識を受け継いだのでしょうか?これら全ての提案は既にあるグループが真剣に取り組みました。ドラゴンについては、殆んどが歴史上事実人間と恐竜の遭遇が装飾的に反映されたものであると思われています。
神学者であり哲学者であるFrancis Schaefferは次のように言いました,“私は、恐竜が人類の到来前に絶滅したとは信じません。古代と近代に於いて、恐竜が殆んどの地域に生息し、人間は他の地域に住み、恐竜と人間が同時期に地球に生存してる期間、人間は時たま巨大で恐ろしい生物に遭遇したのでしょう。古代と近代に於いてもそのような沢山の証拠は存在しています。その遭遇の記憶は非常に深くまた生々しく数え切れない地域と文化の中に伝えられ、陶器に描かれたり、また文献に書かれたりしたのです。”
“ドラゴン”の語源
オックスフォード・イングリシュ・ディクショナリー(1966)による“ドラゴン”の語源は、古いフランスが由来となり、それ以前はラテン語のdracon(Serpent,蛇)に由来し、またギリシャ語のSpakov(Serpent)が由来しています。ギリシャ語のアリオスト(不定過去)動詞であるSpakelyは(はっきり見る)と言う意味です。Sanskrit darc(見る)、Avestic darstis(視界)、アイリッシュのゲイリックは(目)、古い英語Old Saxon torhtと古いHigh German zorahtの全部の意味は、はっきりする、または明るい。このように多くが古代の語源である視界に関連しているのです。言葉の根源は殆んどが初期インド−ヨーロッパの言葉(印欧其語)に辿りつきます。これらの事柄から、直結する世界の祖先は、大洪水の後間もなく起きたバベルの塔からの分散によって、ヤペテ民族の言葉の一部はインド‐ヨーロッパ語と想定する事が出来ます。
オックスフォード・英語辞典(1966年)によると、Spakelyはギリシャ語の Spakで、強いという意味が含まれ、従ってドラゴンに関連している事が明らかです。イギリスで最初にこの言葉を使ったのは紀元1220年、イギリス判の聖書に用いられたのは紀元1340年です。(オックスフォード・英語辞典から)
至るところに存在していたドラゴン
世界の怪獣(1975年)のなかで、“至るところに存在していたドラゴン”の箇所があります。古代の人々と全世界はドラゴンの存在を信じていました。私たちも、有史以前の芸術から、地域文化から、古文書から、ドラゴンの存在を信じる事ができます。
有史以前の芸術に登場するドラゴン
紀元202年代の古代の芸術品である茶碗や陶器の装飾にドラゴンのモチーフが見られます。Anne Rossの著書から:紀元前500年頃、イギリスの異教徒ケルト人の文化の中に、ドラゴンのモチーフを描いた古代骨つぼ葬の慣習がありました。バリの焼き物は良い霊バロング(動物)の仮面にドラゴンが描かれ、彼らの文化の中でそれはドラマチックな中心的存在となっていました。
1940年フランスに於いて、有史以前の最古の証拠ではないかと推定される洞窟Baume Latroneが Siegfried Giedionによって発見されました。その洞窟は2万年前のものと推測する科学者もいます(そんなに古い物ではない)。Peter Costelloはこのように言いました;“絵の全体は3メートルに及ぶドラゴンのような生き物で占められている”さらに、確かな日付は不明だが“まさに芸術の始まり”である。
イギリスはグロスターシャーのセバーン川のそばにあるライドニー公園で、ロマーノ・ケルトのモザイクで作られた床が発掘されました。モザイクはリバーカルトの神殿に関連した“雲の印”が見られ、その優れたモザイクにはドラゴンのような生き物が描かれていました。