神は存在するのか−科学的質問
神は存在するのですか? ある日私は神が存在するという証拠について質問を受けました。どういう訳か私を信頼しこの質問をチャレンジした懐疑的友人と一対一の会話でした。彼は宗教とか、道徳倫理とか、哲学的論議ではなく科学的“証拠”を追及していたのです。
神は存在するのか−科学的に取り組むことは出来るか?
“神は存在するのか、”のような質問について、私達は神は確かに実在する、と言っても証拠となるスライドがある訳ではありません。“神を半分だけ信じる、”など有り得ないのです。私達は一定の知識と一定の信仰を持つ状態から、事実神は存在する、または存在しない、のどちらかの結論に到達するのです。
私は一瞬考えました...科学的に神の存在を証明する事が出来るだろうか? 宗教・道徳倫理・哲学的立場から私にとって神は確かに存在すると証明されています。しかしながら、友人は私と信仰を分かち合ってはいないのです。彼は事実を求め --超自然的である現実を自然論で証明するよう求めるのです。
友人の質問は適切です。ですから私は彼の質問に挑戦したのです。なぜなら、彼は疑問と探求の答えを得て当然だからです...
神は存在するのか−科学的調査から割り出した証拠
数学的方式や物理学の特性を用いて神を証明することは出来ません。私達はちょっと周りを見渡せば、優れた知能のデザイナーの存在を認識できる時代に住んでいます。Hubble Telescopeから巨大な宇宙を見透かしたとき、また電子精査の顕微鏡観察装置、そして複雑な世界の微小細胞の究明など。人間に挿入される受精卵と、デジタル・コードの中にある複雑な特性の情報と巨大な収集を把握する事と、量子力学と世界の余剰次元とその原則の調査研究。さあ、今あなたの判断力で、潜在意識と、道徳的基準と、宗教について再吟味し、そしてそれら全ての基本理論の実体が如何に無秩序ででたらめであるかを調整してください。
今日私達の知識を基にすると、無神論(如何なる神をも信じない)は有神論(何らかの神の存在を信じる)よりはるかに“盲目的信仰”であると私は信じます。
私は友人にチャレンジして、“あなたは本当に神の存在とその証拠について考えた事はありますか?または、目を閉じていくらかの証拠となる可能性を考え、純粋にこの世界は自然論が前提だと本当に信じられますか?もし私が何かを観察するよう提案したなら、あなたはそれを調べてみる気はありますか?
友人は私に続けるよう促しました。次は神の存在を指示するいくつかの基本的科学の観察を試みたものです。 -
因果関係。宇宙の存在そのものが神の存在を最もよく証明している(代替理論:目にする全てのものは“何も無い”ところから爆発して出来た結果である。)
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秩序。数字、数学的方式、化学的基本の工程、そして自然の法則の抽象的観念が神の存在を最もよく証明している。(代替理論:最初の無秩序な要素それ自身が複合情報である。)
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デザイン。絶対的複雑性を持った宇宙の恒星と、惑星と、そして科学と生物学の方式が、神の存在を最もよく証明している。(代替理論:技術的に理解されるデザインは偶然であるとする。)
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遺伝子コードの法則。地上に存在する生命すべてに含まれ、またそれを支配する数字式のDNAコードが、神の存在を最も良く証明している。(代替理論:例えば、複合コードで、コンピューターを始動している2通コードのように、既に存在するものの中に作成され、テストとデバッグなしで入り込む事が可能。)
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削減できない複雑性。生物学上、十分活動する有機体と、組織、そして進化論的段階のゆっくりと進化の過程を辿る理論が無理である事から、神の存在を最も良く証明している。(代替理論:生物系の重要性が大きく占めている、また単純なものから複雑化までの誘導工程、または前進的説明が皆無。)
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二重性。人間の知能と良心(精神と実態)の分離は、神の存在を最もよく証明している。(代替理論:一元論‐−存在するのは実態だけで人間の頭脳は無意識的に分離しているように思える。)
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道徳性。愛と、感情と、利他的行為と、そして世界中を通して人類には道徳・倫理が生来備えられていることは、神の存在を最もよく証明している。(代替理論:物質主義の工程は誘導されるものではなく、人間の潜在意識に大きく存在している。)
神は存在するのか−科学的結論
“神は存在するのか”の質問に関しての科学的世界観はたった二つしかありません -- 誰かが/何かをした、または自然現象である。どちらにしても宇宙と生命の始まりと、また人類の始まりと知能の始まりがあったはずです。誰かが/何かをした、のいずれにしても私達が見ているすべてと自然現象にはその要因があるのです。
“神は存在するのか?”の質問は実際に科学的でしょうか? 事実、実験室の中で宇宙の始まりと生命の始まりを構成するなど全く不可能なので、この問題は科学捜査といって良いでしょう。そのため、世界中から観察が可能と思える証拠を集め、科学捜査の技量を適用して集合的な意味の分析をします。この問題は研究室で調査するのではなく、最終的に皆自分自身で調査収集する必要があります。科学を生かした研究、または宗教・道徳性・哲学的信念の上にその答えの可能性はあります。捜査した後、結論を出すのはひとりひとりの個人的問題です。
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